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一流は無理でも「超二流」にはなれる

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一流は無理でも「超二流」にはなれる

野村監督の名言にこのような言葉があります。

それは、一流にはなれなくても一芸に秀でることができる超二流には誰でもなることができるということです。

どんな分野でも一流になれるだけの才能を持っている人は、この世にどれだけいるでしょうか?悲しいことに夢見る人は多い一方で、現実にはそう多くはありません。

しかし、必ずしも一流になれないからといって卑下する必要はあるでしょうか?一流にはなれないけれど、「超二流」ならば努力次第で誰しもなることができるのです。

 

 

「超二流」とは

そもそも超二流とは何でしょうか?

超一流といえば、野球でいうとすぐにイチロー選手やダルビッシュ投手、田中将大投手、大谷翔平選手たちが浮かんできます。

一流だと、分かりやすくいえば1億円プレーヤー以上かもしれません。

二流だと主に2軍の選手や1軍と2軍を行ったり来たりする選手がわかりやすいと思います。(プロ野球選手になる時点で一流であるということは今はおいておきます。)

ではそれらに該当しないような主に1軍にいたり、レギュラーだったりする選手でしょうか?おそらくそれも合っている場合もあるとは思いますが、明確には違います。

では超二流とは何でしょうか?

野村監督の言葉では

「超二流」をあえて定義するならば、自らの強み・長所と弱点を理解して、強みを活かせるように頭をつかう選手のことだろう。

とあります。

超二流とは、「一芸に秀でること」です。打力、守備力、走力全てを備えた一流にはなれなくてもどれか一つでも誰にも負けないものを持った選手のことです。

まず一芸に秀でるためにも自分を分析して自分の長所・強みをしっかりと考えて認識することが大切です。

ハンカチ理論にも繋がる

ハンカチ理論とは、ハンカチの全体を持ち上げなくてもどこか一カ所を持ち上げると、一緒に吊られて他の部分も持ち上げられることをいいます。勉強とかでもよく使われるのですが、何か一つでも強みを持てれば、一つは誰にも負けないものを持っているという自信を持つことができ、準じて相乗効果を生み出して次から次へと能力が高まっていくことをいいます。

どんな分野でも誰にも負けない一芸を身に付けるべき

勉強であれば、英語や理科などの科目、野球であればバントや守備、走力、ビジネスであればコミュニケーション力やリーダーシップ、Excelなどの事務力。よくよく考えれば、どれも必要な能力です。この中でも超二流を目指して一つでも秀でることができれば、あとはハンカチ理論からも上手くいく確率はグンと上がります。

格好良いことばかりやっていたら格好良くないと思う。(相葉雅紀の名言②)

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格好良いことばかりやっていたら格好良くないと思う。

格好良いことばかりやっていたら格好良くない、と初めに聞いたときよく意味がわかりませんでした。

格好良いのに格好良くないという全く正反対の言葉になる理由がわからなかったからです。

 

しかし、よくよく考えてみると、確かに納得できる理由が多くありました。

 

 

格好良いというのは外見だけではない

格好良いという表現は色々なことで使われます。顔立ち、髪型、服装、身に付けているもの、身なり、仕草、立ち居振る舞い、真剣に取り組む姿など様々で、外見で判断するものもあれば内面で判断されるものもあります。

 

外見だけだと見かけ倒しになることも

格好良いというのは、外見だけで判断されることが圧倒的に多いです。内面の本当の格好良さは常に見えるものではないからです。

 

しかし、外見だけだとその魅力は半減以下になってしまいます。例えイケメンや美人であったとしても、性格が悪い、優柔不断、いざという時に頼りない、マナーが悪い、自分勝手、教養・生活力がない、など中身(内面)が伴っていないとせっかくの魅力が活かされずにただの見かけ倒し、見た目だけとなってしまって格好良く見えていたものが自然と格好悪く見えてきてしまいます。

 

内面の格好良さとは

では、その内面の格好良さとは何でしょうか。一番分かりやすいのは「真剣に取り組む姿」です。

 

夢にむかって頑張る姿、困難を乗り越えようとする姿、誰かのために頑張っている姿、誰もやりたがらないことを率先して行う姿、どれも本当に格好良いものではないでしょうか。

 

しかし、この格好良さは、泥臭いことだったり、派手というよりかはむしろぱっと見は地味で格好悪い印象が多いためなかなか格好良く思うことは難しいですが、必死に頑張っている姿こそが本当の格好良さではないでしょうか。

 

格好悪いことだと思えても自分の夢の実現のため、もしくは誰かのために必死になっている姿は本当に輝いて見えるものです。

 

内面の格好良さは他にも様々

他にも、気遣いができる、実行力がある、思いやりがある、リーダーシップがある、カリスマ性がある、仕事ができる、頭が良いなどが内面の格好良さにあたります。

全て何かに突出したものを持っていたり、できたりするとそれは格好良いと思われるものです。

 

外見も磨かなければならない

とはいえ、外見だって適度には磨かなければなりません。清潔感や服装はマナーだってありますし、TPOだって無視するわけにもいきません。

それに、人によっては外見を磨くことで気分が晴れたり、自信だって湧いてくることだってあります。

格好つけることだって大切なことなのです。

ただし、外見の方がわかりやすく、異性にもモテることが多いからといって、つい外見を磨くことばかりに走らないように心掛けましょう。

 

内面は磨き続けられる

まず外見を磨くことには限界があります。筋肉は別ですが、顔やスタイルなど生まれつき与えられているものによるところが大きく、その上、年齢を重ねるにつれて否が応でも衰えてくるものだからです。

 

反対に、内面は磨き続けることに限界はありません。全員スタート地点は同じだからです。そして、内面は衰えることはなかなかありません。むしろ積み立てでどんどんレベルアップしていくものです。

 

普段から磨いていないとチャンスを掴み損ねてしまうことも

しかし、そうは言っても内面を磨き続けることは容易ではありません。成果が見えにくい上、人に評価される機会も極端に少ないからです。

 

しかし、だからこそ磨き続けることに意味があるのです。普段から磨いていないと成果を発揮するチャンスがきても掴むことはできないでしょう。

逃げるということは、必ずしも負けるということではない。(櫻井翔の名言②)

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逃げるということは、必ずしも負けるということではない。

 

逃げるというのは、一般的にはイメージが悪く、「逃げたら負け」というマイナスのイメージが定着してしまっています。

 

この世の中には、逃げたくなるような出来事が数え切れないほどあります。それら全部に立ち向かっていたら精神は崩壊してしまいます。

意識せずとも自己防衛のために、逃げるということを自然としているのです。

 

これらの行動も全て「負け」なのでしょうか

 

 

逃げないことが美徳で逃げることは悪という考え方が定着してしまっている

「逃げない」という言葉・行動は一見は格好良く感じます。逃げずに必死になって立ち向かう姿や逆境をはねのける姿などはつい見とれてしまうほど魅力的に写るものだからです。

 

反対に、「逃げる」という言葉・行動はだらしがなく、格好悪く感じてしまいます。

それは、先を見越さずにただ今の苦労・苦悩を避けるためだけに逃げるという場合が多いからです。目の前に立ちはだかった困難に立ち向かうことに挑戦しないから必死になることがなく、だらしない印象を与えてしまうのです。

 

上記のことから、一般的に「逃げない」ことは美徳「逃げる」ことは悪という考えが定着してしまっています。

 

逃げないことが必ずしも正解ではない

確かにそういったシーンが多いということは紛れもない事実です。しかし、その考えが必ずしも当てはまらない事も多く、「逃げる」ことが正しいということもあるということをまずは自覚しなければなりません。

 

積極的に逃げることも必要

そもそも「逃げる」ということは、生きていく上でのただの選択肢の一つであって、良いも悪いもありません。

ただ単に「違う道を行く」だけなのです。表現は違いますが、意味は全く同じです。

 

困難な壁にぶち当たった時、それは本当に乗り越えなければならないものなのでしょうか?それを乗り越えた時に本当に達成感や成長の実感を得られるのでしょうか?

何も得られるものがなかったり、自分がやりたいことと繋がったりしなければ、それはただの時間と労力の消費です。

 

逃げない勇気も立派だが、逃げる勇気も同じくらい立派

「逃げない」勇気はとても立派なことですが、あえて「逃げる」勇気も時として同じくらい立派なものなのです。逃げたからといって卑屈になることもありませんし、他人も蔑んだりしてはなりません。

ただし、何の目的や理由もなく、ただ嫌だから逃げる行為は恥ずべきことであることは変わりありません。

 

逃げるが勝ち

この言葉こそあえて「逃げる」行為をしているのです。「逃げない」ことが損である事象だってたくさんあります。

逃げないことで時間と労力だけを無駄に消費に自分にとって得になるものがないと判断できることからはとっとと逃げてしまいましょう。

 

「逃げるのか」や「逃げるな」という言葉は言葉の暴力になる可能性も

言葉を発する人にとって逃げないことが得だと判断していたとしても、本人にとって得になると思えずに逃げたくなっているケースの時に「逃げるのか」とか「逃げるな」という言葉は時として押し付けで相手に理解もされずにパワハラになってしまう可能性すらあります。

むしろ、そんな簡単な言葉を使う人は、自分の思い通りにしたいだけで言葉を選ぶことや相手の感情を推し量ることから逃げているのかもしれません。

思いやりが本当にあるのであれば、簡単な言葉でなく心の底から発した相手の心に響く言葉を使って会話で伝えることが大切なのです。

楽しいから笑うんじゃなくて笑えば楽しくなるだろうって考え方。だから笑う。(相葉雅紀の名言①)

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楽しいから笑うんじゃなくて笑えば楽しくなるだろうって考え方。だから笑う。

 

目から鱗の考え方だと思います。

普通は楽しくないとき、特に辛いときや悲しいときは自然と笑えなくなるもので、普段であれば笑えることに対しても笑うことがなかなかできなくなってしまうものです。

しかし、その中でもあえて笑うのは何故でしょうか

 

 

笑う門には福来たる

辛いときや悲しいときに楽しさや幸せを呼び込もうという考えは、頭では分かっていたとしてもなかなかできないのが現実です。

 

楽しい時や気分が良いときにはもちろん笑えて、笑えている分心も広く穏やかとなって何ともないような事でも自然と笑顔になります。

その上、笑えている間は自然と仲間が寄ってきたり、良いことが訪れたりすることが意識せずとも繰り返し起こるものです。

 

これは、笑う門には福来たるの意味の一つです。

 

笑う門には福来たるのもう一つの意味

しかし、この言葉には実はもう一つ意味があります。それが辛いときや悲しいときにあえて笑うことで福を自ら呼び込むという意味です。逆転の発想です。

 

楽しいことがあったり、気分が良いときは自然と福が寄ってきますが、辛いときや悲しいときは逆に福が去っていくものです。

それは、心がネガティブになっている上に表情も暗いことから楽しいと思えるハードルもいつもより高くなってしまって悪いことばかりが起こる悪循環に陥ってしまいます

この負のスパイラルにはまると、自然と笑顔がなくなっていきます

 

上にも書いたように笑っていると幸せなことが舞い込んでくるという考え方から無理にでも笑うことはとても理にかなった考え方なのです。

 

チャンスも舞い込んでくる

逆の立場から考えると、もし何か頼み事があったり話したいことがあったときに、笑顔の人とぶっきらぼうな表情の人がいたとしたらあなたはどちらの人に頼みますか?

 

一般的にはぶっきらぼうな人には話し合いかけにくく、必要以上のことは話さないでしょうから、圧倒的に笑顔の人になるかと思います。

笑顔の人には、話しかけやすい上に頼み事もしやすく、話も弾みやすいものです。

 

笑顔でいると、様々なチャンスが舞い込んできます。ぶっきらぼうでネガティブなオーラを放ってそれを相手に感じ取られてしまうと、話が舞い込んでこずにチャンスをふいにしてしまう可能性があるため笑顔でいることを常に心掛けましょう。

 

笑顔は演技でもよい

演技と感じ取られなければ笑顔は演技でも構いません。落ち込んでいる時間ももちろん人間には必要不可欠なため、心の底からいつも笑っている必要はないです。

 

成功している人や充実している人達の共通点は、ネガティブな面をそこまで表に出さずに常に前向きで上を向いて表情がいいことです。しかし、本音のところは分かりません。実は演技で、私達にはそう見えているだけなのかもしれません。

 

楽しい気分に切り替えるためやチャンスを引き寄せるためにも人前では極力負のオーラは見せずに笑顔でいることが大切なのです。

 

新しい環境に入ったら大変な事も多い。でも、そこを踏ん張るときっと楽しくなる。(櫻井翔の名言①)

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新しい環境に入ったら大変な事も多いはず。
でも、そこを踏ん張るときっと楽しくなるから。

 

入学、進級、クラス替え、入社、転勤、一人暮らし、転居など新年度前後は、新しい環境への期待からワクワクと気分が高揚するものかと思いますが、それと同じくらいにその環境に慣れることができるかなど不安なことも多いものです。

 

5月病という言葉もあるように、新年度前後は新しい環境になかなか馴染めないことなどが原因で心が不安定になりやすい季節でもあります。

 

「辛いことの先には楽しいことが待っている」という言葉をよく耳にしますが、なかなか見えないものを頼りに今を乗り切ることはそう容易ではありません。

具体的に乗り切るためにはどのような心持ちでいればよいのでしょうか。

 

 

辛いと感じている時こそ身近な幸せを探す

辛いときというのは、普段は何とも思わないこともネガティブに考えてしまって全てがうまくいかずに悪循環に陥ることがままあります。

 

しかし、そういうときこそあえて小さな幸せを探すのです。人は冷静になってじっくり考えてみると小さな幸せはいくらでもあります。家族がいる幸せ、恋人・友人がいる幸せ、美味しいものが食べられる幸せ、そもそも三食食べられる幸せ、困窮していない幸せ、学校に通える幸せ、仕事がある幸せ、帰る家がある幸せ、趣味や好きなことに時間を割ける幸せなどなど、それぞれ一つずつがふと考えてみると実は本当に幸せなことなのです。これらの内ほとんど満たしていなくても何かしらはきっとあるはずで、それは充分に幸せなことです。

 

どうしても辛いときは隣の芝生が青く見えるように近くの人と比較したり、自然と高望みしてしまっていたりしますが、そういう時こそ一度立ち止まって冷静に考えることが大切なのです。

 

苦労があるからこそ幸せを感じることができる

幸せというのは、苦労がなにもない人はなかなか感じることができないといわれています。お金持ちが幸せかというテーマをよく聞きますが、それはお金さえあれば何でもできるわけではないことと、お金持ちは小さな幸せが感じにくいことからだといわれているからです。

 

それは何故かというと、小さな幸せが日常になってしまっているからなのです。幸せも日常だと当たり前になってしまって幸せだと感じることができなくなります。例えば、少し高価な牛肉や寿司、ケーキなどが食卓に並べられても彼らには当たり前で何も感じることはないということです。

 

苦労やうまくいかないことが多い人ほど実は小さな幸せを感じやすく感受性が豊かで、人一倍幸せなことがあったときに幸せ指数はあがりやすいのです。

 

苦労や苦悩などは多く経験すればするほど、将来の幸せに繋がっていくということを心の片隅において、目の前の困難を乗り越えましょう。

 

多少のことでは動じない忍耐力が身につく

苦労や苦悩や経験値として残り、乗り越える度に心が強くなっていって多少のことでは心が折れにくくなるといわれています。

 

例えば、厳しい練習で有名な部活を経験している人を企業は欲しがっています。理由は、忍耐力が強く多少のことではへこたれず、困難なことがあっても前向きに仲間と共に一緒に乗り越えることができる貴重な人財だからです。

 

新しい環境に入ってもなかなか最初は馴染めず悩んでいたとしても、それを乗り越えることでどこでも馴染むことができる自信がつき、それが経験値となって心が強くなっていくものです。

今、辛いことがあったとしても自分の頑張り次第で乗り越えられる壁であったとしたならば、そこは踏ん張って頑張ってみると視野も広がって新しい世界が見えてくることでしょう。

ただし、独りで抱え込まずに誰かに相談などしながら乗り越えることだけは忘れてはいけません。

才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい。(大野智が紹介した名言①)

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才能の差は小さいが、努力の差は大きい。継続の差はもっと大きい。

 

嵐のリーダーである大野智が紹介した名言です。

才能や努力、継続の名言は数多くありますが、この言葉は単純なようでじわじわと深く心に刺さります。そして、万人に分かりやすい上に言葉自体の響きもよく、座右の銘やスピーチネタとしてもふさわしい言葉です。

才能の差は本当に小さいのか

「私には才能がない」とか、「あいつには才能があるから敵わない」などという言葉をよく耳にします。

才能、確かにそれは天が与えてくれた生まれつきの能力ではあります。しかし、才能だけでは何もできないことに気付かなければなりません。

しかし、人は他人の良いところばかりに目がいってしまい、他人を過剰に評価し過ぎて自分を悲観的に見てしまうことがあるためなかなか気づきにくいですが、才能の差というのは実は大きな差にはならないのです。

何故ならそれは見えている部分しか見ようとしていないだけ、実は才能があると安直に考えて錯覚しているからなのです。

そもそも、人は本当に才能だけで何でもできるようになるのでしょうか?もちろんスタートする前の能力は個人差があるのは事実です。

しかし、それはあくまでスタート時だけです。見えていないだけで皆膨大な努力をしているのです

人は自分より能力が高い人を見るとネガティブになったり、嫉妬や妬みを感じたりしてしまうことから視野が狭くなって悲観的になることが多いですが、実はよくよく考えてみると才能の差というのは、最終的には実は小さいのです。

一流と呼ばれている人達は皆人並みならぬ努力をしているのです。この世の中、才能だけで成功するほど甘くはありません

能力に差が生じるのは努力の質

では、どこで能力に差がつくのでしょうか。それは努力です。努力といっても単純に量をこなせばよいという訳ではなく、質が高いことが重要です。

努力の質が高いとは、どのような方法の努力だとより能力が高くなるかを常に考えた上で適性な努力をすることです。

努力は一歩間違えるとただの惰性

例えば、できる問題ばかりを必要以上に何度も解いても意味がないということです。それは努力ではなく、楽な方法をあえて選択するというただの惰性です。

課題を解決していくことが努力

自分の現状の課題を常に考え、それを克服するためには何が最善なのか頭をフル回転して考えなければなりません。そして、その課題をクリアしたらその次の課題も見えてくるようになって、またそれをクリアするための努力の方法を考える、この繰り返しが大切です。

課題を見つけて克服することは決して楽なことではありません。歯を食いしばらなければならないことです。

ここで踏ん張って努力できるかどうかが大きく、本当の能力の差なのかもしれません。

継続することが最も大事。ただし、一番難しい。

継続といってももちろん上記の例のような解ける問題を繰り返し解くということではありません。ここでいう継続とは、努力し続けるということです。

自分の課題を見つけて歯を食いしばり続けることは本当に容易なことではありません。とても難しいことです。

しかし、この難しいことを乗り越えて適切な努力を継続していくことで、新たな境地が初めて見えてくることでしょう。

この努力の継続こそが、他人と差を大きくつける鍵となるのです。

もちろん継続も、意味のない惰性となっては意味がありません。時と場合によって柔軟に継続をやめることも大切です。

努力も継続も惰性は敵です。

一歩踏み出して得たものが今の自分を作っている。(安室奈美恵の名言⑥)

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一歩踏み出して得たものが今の自分を作っている。

怖がらずに思い切って一歩前に踏み出してみたら人との出会いや、新しい自分の発見が待っていた。そこで得たものが今の自分を作っている。

挑戦すること。それは人の成長の源です。

挑戦せずに安定した環境に身を置いていると、新しい発見もなく、何も変わることはありません。

少しでも「自分を変えたい」、「成長したい」と考えている人は皆共通して、「どんどん新しいことに挑戦していくこと」を大切にしています。その考えを根幹に持っているからこそ、様々な考え方・文化に触れることができ、視野が広がって新しい知識も身に付くことにつながるのです。

逆に狭い世界で安定したいと考えが強い場合には少し注意が必要です。何故なら世界は急速なスピードで成長しているのに、自分だけ成長が止まってしまっているからです。

 そのため、ただ単純に安定するのではなく、「この部分では変わらず安定したい」、「ここについてはどんどん挑戦していこう」などといった使い分けは必要かもしれません。

 誰にでも時間は平等で過去は変えられない。

誰にでも時間は平等だし過去は変えられないけど、今や未来は自分次第。

全人類の誰にでも平等に与えられているのは時間。その時間の使い方が上手いか下手かは大きな差です。

「時間はいくらでもある」、「まだまだ今やらなくても間に合う」など誰しもが思うことですが、その時間の使い方の差が大きな差に繋がります。

 自分がまだ行動に移してない間にもその平等な時間は自然と過ぎて、その時間を有効に使っている人もいるでしょう。

「過去は変えられない」、「今さら行動しても遅い」と思って卑屈になることも人生の中で大変多くありますが、過去の事ばかり考えずに、未来のために今自分がどう行動するかが本当に重要なことです。

その一歩を「今踏み出す」か、「少ししてから踏み出す」か、「いつか踏み出す」かは自分次第です。

また、注意しなければならないことは、この考えは基本的に習慣化します。

少しずつして踏み出す考えのみ人はどんな事も慎重に物事を考えることでしょう。何も考えずに今行動することが絶対良いということではないので、それはそれで良いことです。

ただし、「いつか踏み出す」を選択することが習慣してしまった場合にはその間の時間が塵も積もって莫大な時間をロスしてしまう点には注意が必要です。

逆に言えば、習慣できるので自分次第で変えることもできるということです。