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一番大切なのは、どん底の時に誰がそばにいてくれたかや。(野村克也の名言⑥)

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うまくいっているときは周りに人が集まる。一番大切なのは、どん底の時に誰がそばにいてくれたかや。

「本当の親友と呼べる人」や「心の底から信頼できる人」、改めて考えてみると浮かぶ人はいますか?反対に「本当の親友と呼んでくれる人」や「心の底から信頼してくれる人」で浮かぶ人はいますでしょうか?

人によっては何人か浮かんだかもしれませんが、まず親友や信頼できる人に数は関係ありません。多い方が良いという訳ではなく、逆に少ないから良いという訳でもありません。

ただ、大事になるのは、親友や信頼できる人の定義です。この2つはほぼニアリーイコールなので、下記からは親友に限定します。

親友とは?

学生の頃は何をしてても一緒に行動し、楽しく、自分の事を肯定してくれる人だと思いがちです。完全に間違いとは言えませんが、それが全てではありません。それだけだと「一緒にいて楽しい人」や「一緒にいると都合が良い人」程度かもしれないからです。

親友とは、普段は行動を共にしているかどうかはあまり関係がなく、楽しいことだけでなく喜怒哀楽を全て分かち合うことができ、お互いに気を使うことなく、相談や悩みも打ち明けられて、時には言いにくいような欠点や間違っていることをきちんと指摘してくれて、無理することなく素の自分をさらけ出せる間柄の人のことをいいます。

友人でも自然と気を使っているという事実

基本的に人間関係は、自然とどこかに気を使っていて、話したい事全ては遠慮して話せないことが多いです。

それに、自分の言いたいことや考えを全てをさらけて話したら嫌われる可能性があるから相手に合わせて会話します。また、相手側からすると、悩みを聞いたり、間違っていることや欠点を指摘したりすることは多大な労力を使うので自然と避けてしまいます。これは友人であっても全く同じです。

多大な労力を使ってくれているという意識

欠点や間違っていることなど、自分に対して言いにくいことを言ってくれる人は、あえて言いたくて言っているのではなく、本当に自分のことを真剣に考えてくれた上で言いにくいことをわざわざ口に出してくれているのです。

マイナスな事を伝えないでよいならば、その方が労力を使わずに済むから楽に決まっています。本来はそうしたいです。しかし、それでも自分のためを思って言ってくれるのです。

親友を作るタイミングを逃すことが多い事実

自分にとって欠点の指摘や都合の悪いことを言われた時は、自分が否定されたようで良い気分ではありません。間違っても楽しくはないです。

そのため、段々と距離を置くようになってしまう場合があります。しかし、それは大きな間違いです。そこできちんと耳を傾けて、自分をさらけ出してぶつかり合わないと真の友情は芽生えません。

結局、親友や信頼できる人、恩師というのは双方が裏表なく真剣にぶつかり合える関係なのです。そこを避けていると深い関係は築けないですし、それで関係が崩れるようであればその程度の関係だったということです。

どん底にはまった時に誰がいるか

もし自分が失意のどん底にはまったことがあった場合、支えてくれたり、寄り添ってくれた人はいましたでしょうか?

もしいたらその人は自分にとって信頼に足る人物です。普段の日常よりもこういう時に本当の関係性が見えてくるものなのです。

重荷があるからこそ、人は努力するのである。(野村克也の名言⑤)

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重荷があるからこそ、人は努力するのである。重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける。

努力する理由、様々あると思います。

夢の実現、競争、家族や仲間のため、将来のため、住宅ローンの返済、プレッシャーからの解放、自身が置かれている立場からの責任感、人助けなど、本当に人それぞれです。

努力する理由にはポジティブものもネガティブなものもありますが、どちらであってもそれが重荷になることもあり得ます。

しかし、その努力する理由が重荷であったとしても、それが活力・原動力となるのです。

重荷がないとどうなるか

逆から考えてみると、重荷がないと人はどうなるのでしょうか。

まず間違いなく堕落していきます。

人は生きていく上で、壁にぶち当たることや困難に直面することが必ずあります。しかも一度ではなく何度もです。

重荷とは時には背負うことが辛いと感じるときもありますが、背負っているからこそ自身の力を最大限発揮して困難を乗り越えることができるのです。

背負うものがない場合には、人は困難を乗り越える必要がありません。わざわざ困難な壁を乗り越える必要もなければ活力や原動力もないので、次々と訪れる壁や困難を避けたり、逃げることになってしまいます。

人は壁や困難に挑戦していかないと、成長する機会を逸してしまいます。楽ばかりを求めると、人は挑戦をやめて安定・堕落を求めるようになってしまいます。

重荷を持つことで現実を見つめ、成長していく

重荷は責任とも言い換えることができます。責任がある人間は最悪のケースを先に考えることから、無責任な行動はしません。浮かれることなく、現実を見ながら地に足をつけて行動していきます。

そして、責任を全うするために、困難な壁も一つずつ乗り越えるように挑戦していきます。挑戦するかしないかを選択する時に挑戦する選択をするケースが自然と多くなるため、自身の成長にもつながります。

重荷の持ちすぎはNGになることも

重荷は言い換えればプレッシャーと同じようなものです。プレッシャーは抱えすぎると人は精神的に追い詰められて耐えられなくなる可能性があります。

不安がある場合には、自分はどこまでが重荷を持てるのか見極めることがとても大切です。自分の能力を大幅に超えた重荷は持たないように心掛けて優先順位を決めたり、取捨選択をしましょう。

もしくは、仲間や家族と重荷を分け合うことで連帯感・団結力も向上しますので、抱え込まずに困ったときはすぐに声に出すことを心掛けましょう。

恥ずかしいと感じることから進歩は始まる。(野村克也の名言④)

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「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。

何かに失敗して恥をかいた…例えば、先生に当てられて答えられなかった、大勢の前で言い間違いをしてしまった、常識を知らなかった、スピーチで言葉に詰まってしまった、単純なミスをしてしまった、など人は恥をかくシーンが次々とやってきます。

この恥をラッキーと捉えるかアンラッキーと捉えるかで成長力に差が生じます。

恥はポジティブに捉えよ

恥をかいたあとに人は何を思うでしょうか?

「もう二度とこんな経験をしたくない!」です。この二度と経験したくないと思ったあとの行動は大きく二通りあると思います。

一つは、ネガティブに捉えてもう同じ経験をすることがないようにその事象を避けていくことです。

もう一つは、ポジティブに捉えて、もう同じ恥はかかないように学習し、反復・練習して失敗しないようにすることです。

これはどちらが成長・進歩にとってプラスになるかは明白で、完全に後者です。

 恥をかくことは成長するチャンス

恥をかくということは、その恥をかいた事象についてうまくできなかったとか、知識がなかったということです。恥をかいたおかげでその事に気づけたのです。

普段の日常生活では、その事象についてもできなくても、もしくは知らなくても気にしてこなかったことでしょう。

しかし、もう同じ失敗はかきたくない、恥はかきたくないという思いからそのことについては一生懸命学んだり、練習したりして自分のものとして習得していきます。

こうして、人は恥をかいては成長していくのです。人生はその繰り返しです。

本当の恥とは何か

普段、恥をかいたら嫌なので、恥をかくことを自然と避けてしまう方も多いと思います。しかし、その程度の恥はどんどんかくべきです。人の前で上記のような恥をかくことは本当の恥なんかではありません。成長するチャンスを得られたので本当は喜べるとよいのかもしれません。

本当の恥とは、自分が進歩していないことです。若い頃に恥を避けてきたことは、学んで自分のものに習得していく機会が圧倒的にチャンスを得たきた人に比べたら少ないので、その分、年をとってから代償を払うことになります。

恥は若いうちにかいておいた方が必ず将来役に立ちます。恥に対する免疫も高めておいた方が良いでしょう。

そもそも日本は、自己表現に消極的だし、他人との同調思考も強く、人目を気にしすぎる文化でもあります。恥をかくことがいかにも悪いことのように自然と教えられて育ちますが、成功者や魅力ある方たちは恥に対して消極的でしょうか。いえ、ほとんどの人がそもそも恥という認識が違うはずです。

行動しないことが恥、恥とは成長しないと考えられるようになると、今までとはまた違った景色が見えてくるのかもしれません。

どうするかを考えない人に、どうなるかは見えない。(野村克也の名言③)

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どうするかを考えない人に、どうなるかは見えない。

仕事や勉強、部活の練習など与えられた義務があった時に、そのやるべき意味・やらなければならない意味を深く考えますでしょうか。

大抵はそこまで深くは考えずに、与えられた義務をこなしながら日々を過ごしていく方も多いのではないでしょうか。

しかし、その意味を自分に落とし込むまで考えるか考えないかで、その義務をこなす意味やモチベーションが全く異なってきます。

活動・仕事・労働の違い

仕事を例えにすると、仕事と労働の違いについては耳にすることがあると思います。

「労働」は、やりがいを感じずに、生きていく上で賃金を得るためだけに意思とは関係なしに受動的に働くことを指し、「仕事」は、やりがいを感じながら自ら能動的に働くことを指します。

更に、「労働」と「仕事」は収入を得ることができるからやっている面もあるため完全に心からやりたいという訳ではないかもしれませんが、「活動」は完全に自発的に心からやりたくて行う行動となります。

「活動」についてはここではあまり触れませんが、これら3つの行動は哲学者のハンナ・アーレントが分類したものです。

どの行動が良いのか

人間の行動の中で、活動・仕事・労働の順に質が高いものとされていて、この質を高めてより高度な行動に変えていかなければなりません。

例えばコンビニ店員だった場合、労働は「ただ人がきたらレジで会計をし、商品が減ってきたら補充する」だと思います。これはコンビニにとっては必要なことでとても大事なことです。これができないとコンビニがまわらないからです。

しかし、言葉を言い換えるとコンビニ店員にとっては誰でもできるようにならないといけないレベルです。慣れてしまえばあまり頭を使わずに作業でできるもので、替えもきくかもしれません。

対して仕事は、その労働の範囲を超えて「どうしたらより売上が上がるだろうか、どうしたらお客様に満足してもらってリピートしてもらえるだろうか」など、常に先の展望やお店と自分の成長などを考えながら働くことです。

購買意欲をより高めるためにPOPをより目立たせたり、接客時には笑顔で元気よく対応したり、困っている人がいたら待つのではなく自ら手を差し伸べたり、レジ横やエンド棚に目玉商品やセール商品を目立つように展開したり、声掛けで呼び掛けるなど様々な方法があります。

この方法を考えて実践していくことで、替えのきかない重要な人材になっていきます。

客観的に見たら労働と業務内容はそこまで変わらないかもしれませんが、毎日様々な考えを張り巡らせるので、業務にやりがいや責任感も生じて活き活きと仕事ができるようになっていくことでしょう。

労働を仕事に変えるには?

しかし、そうはいっても毎日やることが多く、義務をこなすだけで精一杯だ、一歩先のことを考える時間も体力もないなど、なかなか労働というカテゴリから抜け出せない人は多くいます。

しかし、本当にそうでしょうか。人で唯一絶対的に平等なのが時間です。

仕事として働けている人はどう時間を使っているのか、自分の時間の使い方には問題がないのかなど改めてじっくり考えてみることはとても大切です。得てして、成功している人、輝いている人は共通して時間の使い方がとても上手です。

また、時間に余裕がないのは時間の使い方とは関係なしに、もしかしたら業務内容や方法にも原因があるのかもしれません。

人の業務まで抱えてしまっている、アナログなやり方をしてしまっている、整理ができていなくて探し物に時間をとられてしまう、悩む時間が多い、不必要な業務をルーティンでやってしまっているなど、何か改良点がないか再度考えてみることです。

自分が何をしているのか、なぜそれをしなければならないのか、そしてそれをより良くするためには何をすればよいのかを考え、その後どうなるのかまでも考え抜くことを続けないと何も変わりません。何かを変えるにはとても労力が要るものです。そこまで考え抜いて実践して初めて、どうなるか先が見えてくるものです。

割り切ることも大事

しかし、様々な働き方があるので、割り切って与えられたものだけをこなそうと決めている人ももちろんいます。それはそれで素晴らしいことです。自分の意志でしっかりと決めている場合には、きっとそこではない他の本業・分野などで自分の意志を持って活躍していることでしょう。

五感をフルに使うことが大事

意味を考え抜いて理解し、納得した上で業務を行うことでプラスアルファの効力が生まれてきます。考えることを疎かにすると、その先の未来が見えてこず大きな進歩はありません。五感をフルに使うことはとても大切なことです。

今やらなければならない業務を「仕事」と捉えて行うのと、「労働」と捉えて行うのとどちらが自分にとって望んでいることなのか、たまに立ち止まって見つめ直すことも大事なことかもしれません。

嫌われることを恐れている人に真のリーダーシップはとれない。(野村克也の名言②)

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好かれなくてもいいから信用はされなければならない。嫌われることを恐れている人に真のリーダーシップはとれない。

真のリーダーシップとは何なのでしょうか?役職を持っている人が必ずといってもいいほど悩むことになるかと思います。リーダーシップに関する書籍は多数あってどれも正解といえることから、これといって定義できるものではなく、人や環境によってリーダーシップ像は異なるのかもしれません。

ただ、その中でも「信用」がとても重要でどのリーダーシップ像にも必要不可欠な要素であることは間違いありません。

真のリーダーシップ像とは?

真のリーダーシップ像とは何なのか?何をできて何を示せていれば正しいのか、これは一概には言えないと思います。

慕ってついて来る人達を迎合すればよいのか、多くを語らず背中で訴えかけるのが正解なのか、一挙手一投足を指示するのがよいのか、普段は関わらずに必要に応じてまとめ役をすればよいのか、方向性だけを示せばよいのか、難しいことは自分で抱え込むのがよいのか、責任だけ取ればよいのか、等々立ち居振る舞いから部下や仲間との関わり方まであげればきりがないほど悩みの種は多いです。

きっとこれら全てが適度にバランスよく保てることが正解は正解です。

しかし、いくらリーダーとはいえ、全てを完璧にこなせる人間はごく一部ですし、関わる人間の性格や環境によってもそのバランスは変わります。

その上、頭でわかっていてもこれらをバランスよく実践することは困難を極めます。

「信頼関係」が大切

リーダーという役職があるとはいえ、部下とは優劣のない同じ人間です。あなたはどのような人についていきたい、一緒にいたい、友人になりたいと思いますか?

それは1つの要因として「信用できるか」どうかです。

例え、この人と一緒にいれば有益だ、などと思っていたとしても信用できていなかったらそれはあくまでも表面上のみの薄っぺらい関係で、一緒にいることのメリットがなくなればその人の下から容赦なく去るでしょう。

リーダーとはそんな損得なしで心の底からついていきたくなるような人物像です。

「信用」はどうすれば得られるのか

ではそんな「信用」はどうすれば得られるでしょうか。損得のように目で見えるものではないためイメージは難しいかもしれませんが、そんなに難しいことではありません。普通の人間関係で良いのです。

「信用」してくれる人を人は「信用」するので、まずはこちらが信用します。そして、一人一人の話に耳を傾け、困っていたら手を差し伸べ、信頼して任せ、道を間違ったら愛情を持って叱ってやり、良いことが起きたら一緒に喜ぶ、そんな子供の時から自然とできていることを少し大袈裟なほどに体現するのが良いのです。

叱ってやると言いましたが、何でも優しくするのが信頼関係を築けるというものでもありません。優しくし過ぎたら甘えが発生してその人の成長を阻害する可能性があるからです。叱るべき事象なのに叱る労力を嫌って優しくし続けることはその人の事を本気で考えていない証拠で単なる怠けです。

人は成長したり、忙しくなったり、役職を得るなど偉くなると基本的な人間関係を忘れがちになります。

そんな時だからこそ人間関係の基本に立ち返って少し大袈裟に振る舞うことこそが真のリーダーの条件なのかもしれません。

若いときに流さなかった汗は年を取ったときの涙となる。(野村克也の名言①)

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若いときに流さなかった汗は、年を取ったときの涙となる。

人は生きる内に「あの時にもっと頑張っておけば…」という思いを誰しも少なからず経験します。そして、その後悔を糧・教訓として自分に言い聞かせ、次回努力して挽回・成功を手にします。事象の大小は様々ありますが、この失敗と成功を繰り返していきます。

しかし、失敗したものを成功させるには容易ではなく膨大なエネルギーを要します。「いつか本気出す!」などと言って、その失敗を放って後回しにして楽しいことを優先してしまいたい気持ちは万人共通です。ただ、ここでやるかやらないかで人生が大きく左右される場合があることは必ず胸に刻んでおくことが大切です。

若いときの苦労は買ってでもせよ

「若いときの苦労は買ってでもせよ。」という言葉にもあるように若いときに苦労して汗を流した分、それは財産になります。

例えば、苦労して難関校を受験する、部活で活躍するために猛練習する、資格を取る、体を鍛える、ボランティアをするなど方法は様々ですが、ここで大事な事は結果が全てではないことです。

例え汗を流して努力したにも関わらず、受験や部活など望んだ結果には繋がらなかった場合でも、違う場面で役に立つことは大いにあります。

どんな経験も思わぬところで活きる

大変なことでも逃げずに努力する習慣・忍耐力がついて多少の事では音を上げなったり、当時は考えもつかなかった思わぬ所でその経験が活きたりすることもあります。

どんなことでも苦労・努力して経験している以上、経験値として残ります。思わぬところで効果を発揮する可能性があるものは少しでも多くストックしておいた方が良いでしょう。

今目の前にあることを全力で頑張る

ただ、若いときに努力しておいた方がいいと頭では理解していても、将来役に立つ場面が不明な段階ではイメージが湧きにくいと思います。ただ単純に「今目の前にあることを全力で頑張る」、「意味のないことだと思っても何事にも興味を持って取り組んでみる」ことで充分だと思います。

いつまでが「若い」のか

必ずこの2点は個人個人の財産になります。そして、若い頃にこのことを疎かにした人は必ずと言ってもいいほど、後悔することになると思います。ただ、「若いときにもっと頑張っておけば良かった」と思っている人がいたとしても、大半はまだ遅すぎることはないため、最後のチャンスで努力ができるかどうかです。

努力というのは宝くじのようなもの。買わないと当たらない。(北野武(ビートたけし)の名言④)

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作法というのは、突き詰めて考えれば他人への気遣いだ。

作法というのは、突き詰めて考えれば他人への気遣いだ。

「作法」、その意味を調べてみると「人間生活における対人的な言語動作の方式」や、

「社会で守るべきとされている言語、動作、態度の決まり」などと記されており、礼儀・マナー・行儀・エチケットなどが類義語となっています。

例えば、高級レストランではナイフ・フォークの持ち方やナプキンの使い方などのテーブルマナーやドレスコードなど守らなければならない事が多かったり、他にも抹茶の飲み方であったり、電車の中では特に混んでるときには足を広げすぎない、荷物を席に置かない、リュックは前に抱えるなど作法を気にしなければならないシーンは数え切れないくらい山ほどあります。

作法は日常ではそこまで気にしなくていいことも多いですが、いざというときに使えないと周囲の人達に不快感を与えてしまいます。

自分は作法やマナーを気にしないからいいや、と思う人がいたとしても周りの人が気にします。

例えば雰囲気も楽しむフレンチや抹茶を頂く時に、作法を守れない人がいたら周囲の人達に不快感を与えてしまう場合もあり、その人達にとっては雰囲気が台無しになってしまいます。

作法を守るということは、他人に迷惑をかけないための気遣い、雰囲気を大切にすることに繋がります。

作法が守れない人は信頼されにくい、他人に気を使えず自分勝手であるという印象を与えてしまってデメリットしかありません。

作法は中には窮屈なものもあるかもしれませんが、その場だけでも作法を守ろうしない人を信用したり、一緒にいたいと思うでしょうか?周囲の人を不愉快にしない程度の作法は礼儀に等しいので、他人への気遣いや雰囲気を守るためにも作法は大切にしなければなりません。

 

努力というのは宝くじのようなもの。買っても当たるかわからないけど、買わないと当たらない。

努力というのは宝くじのようなもの。買っても当たるかわからないけど、買わないと当たらない。

「努力は裏切らない」という言葉をよく聞くと思いますが、ここでは「買っても当たるかわからない、努力しても成功するか分からないし」と言われています。

人が成功するには「努力」、「運」、「才能」、「環境」、「ひらめき」など色々な要素が必要になります。努力したからといって成功するとは限らないし、運や才能だけで成功するとも限りません。

しかし、上記要素の中で1つくらいなくても成功しそうですが、「努力」だけはどんな成功にも欠かすことができない必要不可欠な要素です。

「運良くチャンスが舞い込んだり、ひらめいたりしても努力しないとそのチャンスを逃してしまう。」

「才能があったり、環境が良かったりで最初はうまくできたとしても必ず壁にぶち当たる時がきてその時に努力できるかどうか。」

上記のように努力は成功するのになくてはならない要素です。

ただ闇雲に努力しても成功には近づけません。トーマス・エジソンの「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力」という言葉には諸説ありますが、まず努力の方向性をひらめいてからその道通りに努力することが成功への秘訣であって、ひらめきがないと努力は無駄になってしまうということを説いています。

そのひらめきがあっても100パーセント成功するとは限りませんが、あとは努力することで成功への確率がグッと上がるでしょう。