逃げるということは、必ずしも負けるということではない。
逃げるというのは、一般的にはイメージが悪く、「逃げたら負け」というマイナスのイメージが定着してしまっています。
この世の中には、逃げたくなるような出来事が数え切れないほどあります。それら全部に立ち向かっていたら精神は崩壊してしまいます。
意識せずとも自己防衛のために、逃げるということを自然としているのです。
これらの行動も全て「負け」なのでしょうか。
- 逃げないことが美徳で逃げることは悪という考え方が定着してしまっている
- 逃げないことが必ずしも正解ではない
- 積極的に逃げることも必要
- 逃げない勇気も立派だが、逃げる勇気も同じくらい立派
- 逃げるが勝ち
- 「逃げるのか」や「逃げるな」という言葉は言葉の暴力になる可能性も
逃げないことが美徳で逃げることは悪という考え方が定着してしまっている
「逃げない」という言葉・行動は一見は格好良く感じます。逃げずに必死になって立ち向かう姿や逆境をはねのける姿などはつい見とれてしまうほど魅力的に写るものだからです。
反対に、「逃げる」という言葉・行動はだらしがなく、格好悪く感じてしまいます。
それは、先を見越さずにただ今の苦労・苦悩を避けるためだけに逃げるという場合が多いからです。目の前に立ちはだかった困難に立ち向かうことに挑戦しないから必死になることがなく、だらしない印象を与えてしまうのです。
上記のことから、一般的に「逃げない」ことは美徳で「逃げる」ことは悪という考えが定着してしまっています。
逃げないことが必ずしも正解ではない
確かにそういったシーンが多いということは紛れもない事実です。しかし、その考えが必ずしも当てはまらない事も多く、「逃げる」ことが正しいということもあるということをまずは自覚しなければなりません。
積極的に逃げることも必要
そもそも「逃げる」ということは、生きていく上でのただの選択肢の一つであって、良いも悪いもありません。
ただ単に「違う道を行く」だけなのです。表現は違いますが、意味は全く同じです。
困難な壁にぶち当たった時、それは本当に乗り越えなければならないものなのでしょうか?それを乗り越えた時に本当に達成感や成長の実感を得られるのでしょうか?
何も得られるものがなかったり、自分がやりたいことと繋がったりしなければ、それはただの時間と労力の消費です。
逃げない勇気も立派だが、逃げる勇気も同じくらい立派
「逃げない」勇気はとても立派なことですが、あえて「逃げる」勇気も時として同じくらい立派なものなのです。逃げたからといって卑屈になることもありませんし、他人も蔑んだりしてはなりません。
ただし、何の目的や理由もなく、ただ嫌だから逃げる行為は恥ずべきことであることは変わりありません。
逃げるが勝ち
この言葉こそあえて「逃げる」行為をしているのです。「逃げない」ことが損である事象だってたくさんあります。
逃げないことで時間と労力だけを無駄に消費に自分にとって得になるものがないと判断できることからはとっとと逃げてしまいましょう。
「逃げるのか」や「逃げるな」という言葉は言葉の暴力になる可能性も
言葉を発する人にとって逃げないことが得だと判断していたとしても、本人にとって得になると思えずに逃げたくなっているケースの時に「逃げるのか」とか「逃げるな」という言葉は時として押し付けで相手に理解もされずにパワハラになってしまう可能性すらあります。
むしろ、そんな簡単な言葉を使う人は、自分の思い通りにしたいだけで言葉を選ぶことや相手の感情を推し量ることから逃げているのかもしれません。
思いやりが本当にあるのであれば、簡単な言葉でなく心の底から発した相手の心に響く言葉を使って会話で伝えることが大切なのです。