- 新しく物事を始めるとき「形から入るタイプ」の場合
- 「形から入る」ことはモノを揃えるだけに留まらない
- できる人の真似をすることが大事
- 「真似る」という言葉は「学ぶ」と同義語
- 他人の真似は恥ずべきことではない。むしろ進んで真似るべき。
新しく物事を始めるとき「形から入るタイプ」の場合
新しく物事を始めるとき、「形から入るタイプ」の方が少なからずいるかと思います。
私もその1人です。
例えば「野球を始める人が、好きな選手が使っているバットやグローブなどをまず用意する」ことや、「新しい分野の勉強をする時にたくさんの本をまず購入し積み上げる」などが良い例かもしれません。
ここでは「形から入る」ことの良し悪しを言いたい訳ではなく、上記例の場合などは形から入ったことで結果モチベーションが上がったり、継続できるのならば「形から入った」ことは大正解といえるでしょう。
反対に、もしすぐに使わなくなってしまった場合にはムダになって「形から入った」ことが失敗だったなんてこともあるかもしれませんので、どちらが良いとは一概には言えません。
「形から入る」ことはモノを揃えるだけに留まらない
そして、「形から入る」のは何も物の準備だけではありません。
スポーツでは、初心者が熟練者の真似をすることも「形から入る」ことになります。
ここがポイントです。
人が何かを習得したい、できるようになりたいと思ったときに、その一番の近道はどうすることでしょうか?
できる人の真似をすることが大事
それはできる人の真似をすることです。
それもただ真似をするのではなく、自分の中に落とし込めるまで全力で真似をするのです。
「真似る」という言葉は「学ぶ」と同義語
「真似る」という言葉は「学ぶ」と同義語です。「学ぶ」は「真似る」が語源とも言われています。
真似をすることこそが物事の習得・技量アップへの近道なのです。
他人の真似は恥ずべきことではない。むしろ進んで真似るべき。
他人の真似をするなんてプライドが許さないなんて言う人がたまにいますが、それはとんでもない考えです。
そもそも他人の真似すら出来ないような人が何かを習得したり、大きなことを成し遂げられるでしょうか。
そもそも人間は赤ん坊の時から五感全てを使って全力で大人の真似をして、体を動かしたり話したりできるようになりました。
本能で真似て学んでいるのです。
それは決して大人になったからといって変わるものでもありません。
従って、人間は真似て自分の中に落とし込むことがてきてようやく自分の型・オリジナリティの形成が始まるのです。
上記の事から、何かを新しく始めたいとき、仕事やスポーツに行き詰まったときは、まず、できる人の真似をして「形から入る」ことも大事かもしれません。